VO.7「青空に浮かぶ雲のように」山田香織

このカテゴリーでは、自分らしくイキイキと輝く女性達に「10年前の私に伝えたいこと」「10年後の私から現在の私へのメッセージ」というテーマでゲスト寄稿していただきます。第7回は岐阜県在住の山田香織さんです。

「青空に浮かぶ雲のように」山田香織(岐阜県在住・64歳

座右の銘は「モノより思い出。」法曹関係の仕事のかたわら手話奉仕員や犯罪被害者支援員等のボランティア活 動を通し、多くの人と関わってきました。また、30歳でトライアスロンに挑戦したことを皮切りに、さまざまなスポーツに取り組んできました。56歳でハーフマラソン、60歳でトレッキング、昨年からピラティスを始め、日曜日のルーティンになっています。

虹色の飛行機雲時代

私の人生を空に浮かぶ雲に例えると、結婚してから30年ほどは「虹色の飛行機雲」50歳から60歳までは「どんよりとした雨雲」そして現在は、雲越しにのぞく太陽や月に希望を見出そうとしている「薄雲」いずれも家族とともに見上げた空模様です。その時、その瞬間に感じた自分の気持ちに正直でいることができたのは、柔軟に向き合えた家族の存在が大きかった、と感謝しています。

「虹色の飛行機雲」時代の私は、知らない世界にためらうことなく飛び込んでいました。

ゴールの先に見える景色を確かめたくてチャレンジしたトライアスロン、変化する体型、自分を客観視するために 立ち上げたホームページ、東日本大震災を機に、生きる力を養うために始めた畑づくり、45歳の時に乳がんを宣告されて手術、その後の病理検査で判明した誤診・・・小さな挑戦を繰り返し、さまざまなことを経験をしてきました。

30歳でトライアスロンに初挑戦
歩みを止めなければゴールにたどりつくことを学んだ

10年前の私に伝えたいこと

大丈夫、一歩踏み出してみて

50代は「どんよりとした雨雲」
兄と大切な友人との死別で、厚い灰色の雲のような時間を過ごしていました。

兄は、うつ病で買い物依存症。

友人もまた、うつ病を患い、アルコール依存症を併発していました。

彼女の異変を察知するたび、高速を使い、2時間かけて駆けつけていた日々・・・「元気だった昔の姿に戻ってほしい」その強い願いと変化する彼女の精神状態にやがて自分自身が疲弊してしまい、家族と相談し、距離をおくことに。しばらく経った後、彼女が亡くなったという知らせが届き、私は自分を見失いました。

当時の私に伝えたいことは、小さな挑戦を繰り返し、経験を重ねていても、ある日突然自分を見失ってしまう事があるということ。「そんな時、隣を見てごらん。家族があなたを守ってくれているから。いつだって応援しているから。 大丈夫、一歩踏み出してみて。」

10年後の私から現在の私へのメッセージ 

雲のように形を変えながら、旅するように歩み続けて

ようやく「薄雲」から光が差し、穏やかな時間を過ごせています。 買い物依存症だった兄の大量の遺品整理が何年も続いたことは自分自身の「モノとのココロの関係」を考えるきっかけになりました。 両親を自宅で看取ることができ、 いろいろなモノや関係を手放し、環境を変え、心が軽くなりました。心と体を変えるきっかけになった「グレイヘア」と「ピラティス」は、老いを楽しむための大切なツールとなっています。 目標もできて、ありのままの自分を受け入れられるようになりました。

そして、こうして人生を振り返り、記す機会を得たことで、なりたい自分に向かってまた一歩踏み出しました。穏やかに彩のある時間を過ごせているから、安心して。青空に浮かぶ雲のように形を変えながら、旅するように歩み続けてね。

昨年から始め、日曜のルーティンになったピラティス

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